[ PR ] 完全無料!良い弁護士を厳選してご紹介!
テレビ・新聞メディア紹介多数。全国対応。まずはこちらをクリック!

私もこれからもきっと寂しい

2008年04月04日
【質問】
人はどうして寂しくなるのですか?
http://q.hatena.ne.jp/1207206740

【回答】
服用すると寂しくなる薬があって、その薬を服用して寂しくなったら原因は、その薬だ。
理由がないというのが私の答え。
「私もこれからもきっと寂しい」
私の思想の原点もここにあります。
「さびしい」これは、生きる覚悟には必然なんだと思う。
強者のさびしさもある。弱者のさびしさもある。
どちらも理解できるが、弱者のさびしさには手をかして あげたくなる。
「このさびしさをどしたらいいの」ということを延々考えて、人生単位で見てもそれはそれは長い時間を浪費しました。
その中でまず気付いたことは「人はさびしいとおかしくなる」ということでした。
ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしいんだよな。
さびしさを動機にして人や自分を裁いても、よけいさびしくなるばかり。
なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。
一度切り捨てられたものは時間が止まってしまう。
もうそこからは何もうまれないのでした。
さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、自分さえも許せなくなって、狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。
おかしなことだ。
さびしさとは無縁に見える、幸福そうなあの人と、わたしは何が違うんだろう。
考えればなにもかも違うように見えたし、でも本当のところはどこがどう違うのかよくわからない。
ただ、自分がさびしさにふりまわされていることだけがわかる。

略 

一見優しさとはかけはなれて見えるものでも、そこに人が吸い寄せられているならば、それはその人にとって優しいのだよ。
この世にはわたしのしらない優しさが無数に存在していて、ただ見出だされるのを待っているのだと気付いたとき、世界が変わって見えました。
では、その優しさに反応する心とは何だろう。
たぶんそれがさびしさなんじゃないか。
そう思いました。
人それぞれが固有のさびしさを抱えていて、固有の優しさに惹かれて、繋がって、世界というのは出来上がっているようだ。
そういう気がする。
そしてまたわたしはひとつ決めたのでした。
「さびしさは引力とする」
さびしいときに、そのさびしさの犯人探しのようなことをして、いろんなものを一方的に裁いたりしていたけれど、それはわたしを幸福にはしなかったから、もうさびしさに意味を求めるのはやめようと思ったのです。
さびしさは、優しさを指向する引力で、それ以上でもそれ以下でもない。
だから、その引力を濁らせないで、本当にいちばん惹かれるところに、素直に引っ張られてみよう。



大人なんてさびしくて当たり前で、でもそれはただ優しさを指向する力で、だれのせいでもなくて、みじめに感じることもなくて、その力にさからわずに、惹かれるままに、自分のさがしているものを見つければいい。
会いたい人には会いたいといって、いきたいところには素直にとびこんで、泣きたいときには思いっきり泣いて、さびしさでいろんなものとつながっていけばいい。
わたしはこれからもきっとさびしい。
でもそれでいい。
たくさん間違えて、長い時間がかかったけれど、ようやくここまできたよ。

さびしさの運用について

「人はさびしいとおかしくなる」というのは事実だと思う。私もかなりおかしい部類に入る。
■参考リンク
孤独と自己愛/生きるというたたかい
 
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/92206411

この記事へのトラックバック